東京五輪の4年後がフランス・パリ五輪
その次がアメリカ・ロサンゼルス五輪
いっぺんに決めちゃいましたね
リオデジャネイロや東京の様に
ならない様にってこと
なんでしょうね
アメリカ五輪協会
ロス五輪ではもはや野球ではなくて
『アメフト推し』で行こう!
という方向に固まっているらしいけれど
果たしてこの方向性は正しいか?
その頃アメリカ国内でも
アメリカンフットボールが
どうなってるか?
ちょっとわかりませんよ
現在 NFL 所属のプロフットボール選手
ほとんどは黒人です
9割以上だと思います
現在その所属選手が
国歌を歌わないとか
大統領トランプに表敬しないとか
またトランプが噛み付いている
ホワイトハウスにはともかく
国旗や国歌に表敬しない
国歌を歌わないとは何事であるかと
歌わないどころか
座って聴いていたりする
近頃の日本みたいですね
ただねマスコミが伝えるのとは違い
向こうの輿論は
必ずしもNFL になびいてはいない
電話輿論調査でもやられれば
それは差別には反対だと言うけれども
本音では違いますからね
カレラつまり黒人の
アメリカンフットボールスターは
少し甘やかされすぎじゃないのか?
クチにこそ出さないが
本音ではそう思っている
白人に限りませんよ
クリントン時代に
アファーマティブアクションが廃止され
ぼちぼち20年じゃないですかね
かつてアメリカの超一流大学でも
人種別優先枠は存在した
60年代から70年代に作られたもの
各大学人種別の入学枠を
設けなければならない
相対的にアフリカ系が
入りやすくなった名門大学があった
このことは白人には不満
平等原則は
貫徹させようとすると
あれこれ難しいことが起こる
人種の問題が典型的にそう
アフリカ系は多くは
経済的に恵まれていないから
勉強時間や勉強の機会その他で
随分とハンデがある
という考えのもと
伝えられる差別とは別に
ずいぶん社会的な優遇策は
作られてきていたんですよ
それをやめ始めたのは
じつはクリントンの時代
このことを後押ししたのは
元 National Football League の
超スター選手
俳優タレントとしても活躍していた
O.J. シンプソンによる
殺人事件裁判です
昨日久しぶりにニュースでその名前を聞いた
とりあげている殺人事件で
収監されていたのではありません
あの事件はすったもんだの末
O.J.シンプソンは
第一級殺人容疑刑事事件裁判では
無罪になった
あの騒動の後起こした
別の強盗事件だそうです
今度はバッチリ捕まり
収監されてしまった
捕まらないと思ったのかね?
記憶ではこの人物
大変有名なパニック映画
『タワーリングインフェルノ』
出演していたと思うんだよね
いずれにせよ
そういう人なんです
比較したら悪いけど
今の日本で言えば
イチローとか松井秀喜とか
そのレベルの人です
本では丁度その頃
オウム真理教事件たけなわの頃で
どこを回してもテレビはそればかり
ちょっとうんざりして cnn に
すると被告席のシンプソン
こっちにもうんざりしましたね
それでもアメリカでは
大変な関心で視聴率も高かった
らしーんだよね
あんなつまらない番組がね
結局この人
この件に関しては
刑事では無罪で民事で有罪になる
という腸捻転判決になりましたね
これに反応したのはアメリカの白人だった
差別されていると言う黒人が
大スターとしてこれだけ
ちやほやされて
殺人まで犯しているのに
結局罪にも問われない
しかもシンプソンに殺された
その妻は白人だった
何という社会だ
日本のマスコミが伝えないけど
そういう空気が充満したんです
ビル・クリントンは人気に敏感で
たくみに人気トリをやる政権だった
両方の顔を立てたんです
シンプソン事件には
あえて口を突っ込まず
その代わりに
アファーマティブアクションを
こっそり廃止した
白人支援者の拍手喝采を買った
前々から白人側の
不満が多かったシステムだったから
ロナルド・レーガンの出現以来
アメリカでは単純平等主義が
幅を利かす様になった
社会的不平等は
何よりも競争の結果であるから
恣意的なシステムの変更で
それを是正する様な真似は
やってはいけない
レーガンは共和党
クリントンは民主党です
民主党はぶっちゃけ言えば
黒人とユダヤ人の拠りどころ
現在では黒人よりも
ヒスパニックの方がマジョリティに
なっています
アメリカ社会ではね
しかし60年代くらいまでは
アメリカ民主党はまず黒人
そしてユダヤ人に気を遣っていた
しかしアメリカ社会で
だんだんヒスパニックが
マジョリティになってくると
民主党の政策もそちらよりに
このことが黒人の民主党支持者の
不満を招いた
昨年の大統領選挙
その前の大統領選挙の共和党候補者
ミット・ロムニーへの
アメリカ黒人有権者の支持
トランプはあれだけ
差別主義的な発言をしながら
ミット・ロムニーの2倍
黒人票を獲得していた
トランプが支持を集めたのではない
アメリカ民主党が
黒人よりもヒスパニックの言うことを
聞く様になったことへの
不満だったんです
クリントンは
その辺りの微妙な空気が分かっていた
そしてその場の状況に応じて
カメレオンの様に
白人側にも目配せをしていた
これから次第に黒人は
アメリカのマイノリティになっていく
クリントンはそれが分かっていて
旧来の民主党に見られた
黒人の民主党支持者向け政策から
こっそりと方向転換した
ビル・クリントンはそういう男です
クリントンはかつてなく
黒人支持者の人気を集めていた
大統領だったんですよ
私英語に明るくはないから
聞いてもわからないけれど
アメリカ南北のボーダー辺りに
住んでいる人に言わせると
クリントンの英語は明らかに
アメリカの黒人が使うような
イントネーションで喋ると言う
アメリカの黒人がとても親しみが持てる
喋り方だったという
わざとやっているのだと
わざとそちらからの支持を集めやすい様に
そうやっていたのだろうと
実際当時のアメリカの黒人
クリントンがとても好きだった
その話はよく聞きますよ
1996年の大統領選挙
共和党側は大統領候補として
黒人の支持を得やすい人格者
そういうことで
アメリカの軍のトップだった
あのコリン・パウエルを担ぎ出そうとしたが
パウエルに断られた
パウエルはその辺りの
微妙な空気を知っていて
もし自分が出馬したとしても
黒人層のクリントンへの支持が
引き剥がされることは
ないだろうと考えた
あの
嫁さんとは違い旦那の方は
そのくらいアメリカ社会の中での
空気というものが
読める人だったわけです
もちろんアメリカ人だって
アメフトが好きです
スーパーボールの視聴率からも
歴然としている
しかしその選手に心酔しているか
と言うと微妙です
90%がアフリカ系です
メジャーリーグには未だに
白人の客が多く訪れている
有色人種が入りにくいスタジアム
ってのは確かにありますよ
アナハイム・エンゼルスの本拠地とかね
西海岸なのにそんなだからね
アメリカって黒人の水泳選手が
ほとんどいないじゃないですか
向いてそうなのにね
水泳選手になるには
スイミングクラブ加入が
どうしても必要です
ところがそこが白人の牙城で
黒人を入れてくれなかったんです
なんやかんやと言い訳して
そのためですよ
近頃やっと
黒人の水泳選手が現れ始めた
先頃のオリンピックでいたでしょ?
黒人は水が嫌いだ
泳げないというのは俗説ですよ
泳ぐ機会がないだけなんです
カネが無いからビーチにも行けない
スイミングクラブにも入れない
だからカナヅチ
テニスクラブもそうだったらしいね
ヴィーナス&セリーナ
ウィリアムズ姉妹
彼女たちは大変な高学歴選手だけど
それでも物心ついた頃から
露骨にそういう目に
何度も遭ったと
悔しくてゲーム中に
泣いたこともあったそうですよ
そういうことです
ウィンタースポーツそうですよね
ボブスレー・ジャマイカ代表の話が
映画になりましたけど
『クールランニング』
カルガリー五輪の実話ですよ
コメディだけど最後にちょっと感動する話
ウィンタースポーツから
黒人は排除されてきた
同じ理屈ですよ
あれははっきり言えば
白人クラブスポーツです
未だにそうですよ
National Hockey League NHL
プロアイスホッケーチームは
アメリカにもあるわけだけど
ヒトアシでも会場入ってごらんなさいよ
なんだこいつ!有色人種だぜ!
イロ付きのヤツがきやがったぜ!って顔
露骨にされるから
絶対にそうなるよ
ことほど左様にウインタースポーツは
露骨に『白人スポーツ』です
オリンピックは平等の祭典?
とんでもない!
おためごかしもイイところ
アメリカはそういう社会
しかし黒人は決して少数派ではありません
国務長官も大統領も出している
真珠湾攻撃の段階から
パウエル元国務長官は
朝鮮戦争でも活躍されたんだけど
あの世代が戦争から帰って初めて
黒人が有名百貨店に
出入りできる様になった
しかし行ってみると
トイレが使えなかったりとか
現実にあったらしいですよ
公民権運動が燃え上がる前夜の話
そうした不満への安全弁が
まずアメリカンフットボール
早くから完全に人種フリー
しかも動く金も大変なもの
アフリカ系がスターになると言ったら
まずここなんです
プロバスケはその後から
かつてはバスケットボールも
白人だけのスポーツだった
英才教育クラブには
白人しか入れなかったからね
しかし公民権運動が起きてきて
主に都市部におけるスラム街で
貧しい子供がギャング団に
入るのを防ぐため
スポーツに熱中させようと
そこで路地裏にたくさんの
バスケットコートが作られた
そこからたくさんの
黒人のNBAスター選手が育った
今では多数派ですよね
しかしアメリカは同時に
医学的な危険リスクが明らかになると
スポーツも嗜好品もカルチャーも
あっと言う間に廃れる
と言うことがよくあります
タバコがそうでした
『インサイダー』という
日本では全然テレビ放映されない
有名な映画がありますけど
アル・パチーノ主演でね
日本たばこ産業は現在民間企業で
しかも財務省の覚えめでたい会社ですから
民放では放送されません
巨大たばこ産業の内部告発によって
タバコが有害であることが
アメリカの裁判で立証され
とてつもない賠償金が課せられる
までの話です
『 ハーレーダビッドソン
アンド マルボロマン 』てな
笑えるタイトルの映画があったけどさ
もーあんな映画は
絶対に作られないでしょうね
かつてのスティーブ・マックイーンみたいに
ぷかぷかタバコを吸いまくる
そういう映画スターも同じです
アメリカにおける時代劇
みたいな映画にしか
出てこないものになるでしょうね
完全に過去の遺物
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現在アメリカで
同じ様なことが起こりつつある
『アメリカンフットボール』なんです
深刻な脳障害を引き起こす
極めて高いリスクがあるスポーツ
公式に認められる様になってきた
反論するのは難しく
恐らく今後被害者による訴訟が
そこら中で起こされて
大変なカネが払われることに
なるだろうと思います
裁判がブームになるにつれ
おそらく学校教育現場から
アメリカンフットボールが
だんだん消えていくことになるはずです
National Football League が
果たしてどうなるか?
今後10年ではわかりませんよ
National Football League に
イマサラわざわざ噛み付くのは
トランプにだって
それなりの計算があってのこと
ハリウッド敵に回すよりもリスキーですよ
5年先10年先どうなるか?
しかも選手側がそのことに
ちょっと鈍感な気がする
この話はマスコミ
とりわけ日本のマスコミを
聞いていたんでは
ちょっとわからない話だと
戦場 あなたにカンケイあるテレビ。
羽生選手のバラード1番。
FaOIで再々々演が発表された時には、結構ネガティブな反応が多かったと思います。
他選手は新しいものに挑戦しているのに守りに回るのかとか
さすがにもう飽きたし新ナンバーを見たかったとか
ジャッジにも飽きられて点数は出ないのではないかとか
いろんなネガティブな意見が聞こえて来ました。
でも、今回の演技で、そういう批判や失望、心配はすっかり払拭されましたよね。
批判を実力でねじ伏せ、全員をひれ伏させほどの、非の打ち所のない演技でした。
改めて見返しても、本当に羽生選手はこの作品で、本当にごく一部の選ばれた者しか入ることのできない領域に達してしまったなあと感じます。
五輪でこれを演じ切ることができたら、それこそ羽生伝説は永遠になるでしょうね。それぐらい、信じられないレベルの演技でした。
ジャンプの加点、スピンの加点で軒並み3を揃え、初っ端から112.72と、自身の持つ世界記録を更新したことも凄いですが、
私が凄いと思ったのはスケーティング面での上達と、曲の解釈の深まりや表現の部分なんですよ。
五輪シーズンに彼がこの曲を選んだ時、私は二つほど記事を上げました。
という記事と、この内容を受けてのという記事です。
バラード1番に期待するものという記事の中で私は、まさにそのことへの期待を書きました。
(以下抜粋)
今期の羽生選手は、スピンでの表現も、手の使い方など色々と工夫をしていますし、ステップもさらに洗練されてバタバタ感がなくなりました。
けれどもそういう表面的な振付上のアレコレではなく、音楽解釈面での深まりを演技から感じたいなと思います。
音楽をさらに深く感じて「死や永遠の別れを覚悟した人間の、狂おしいまでの生への渇望」であるとか、あるいはショパンが異国の地で、ワルシャワ蜂起を聞き祖国を思ったような「自分を慈しみ育んでくれた故郷が失われたことへの深い悲しみ」であるとか、そういう深い感情まで表現できたら、それを五輪の場で行うことができたら、すごいことになりそうです。
世界ではまだ至る所で戦争や紛争が続いているし、反戦や平和というメッセージという意味でも、3.11を経験した、羽生選手にしかできない表現になるかもしれません。
(引用終わり)
ワールドのSPはある意味では素晴らしかったけれども、あの時は妨害騒動もありイライラさせられ続けた挙句、最後に「どうだ見たか!」で終わってしまったかなり戦闘的なバラードでした。
ステップ部分も、正直、バタバタ感があり、音楽の心を感じて見る者に伝えるということが十分なされていたのかなというと、そうではなかったと思います。
もしあれが五輪種目のスポーツであるスケートの競技会ではなく、芸術であるピアノのコンクールであったとしたならば、私がジャッジなら決して優勝させたくないパフォーマンスでした。
というのも、戦闘的になってしまった時点で、なぜ人は音楽をするのかという、音楽の本質的な部分が、つまり芸術として一番肝心な部分が抜け落ちていたことは明らかであったからです。
もしもあのような「どうだ見たか!」という力でねじ伏せるような演技が「戦場のピアニスト」のあの命がけの場面で演奏されたとしたら、決してドイツ人将校の心を動かさなかっただろうと思うし
「椿姫」のあのパドゥドゥの場面に使われたとしても、病に冒されこれが最後の逢瀬と思い定めた女性が全存在をかけて命の炎を燃やす場面が台無しになってしまったでしょう。一番大事なパッションが抜け落ちて空回りしているような、ある意味空っぽのパフォーマンスに見えたかもしれません。
あそこまで追い詰められイライラさせられたら仕方のないことですが、あれがバラ1最後の演技になってしまったとしたら、折角のこの名作が泣くよね、と残念に思ってはいました。
でも今回の演技は違いましたねえ。
どうだ!と技術をひけらかすのではなく、しっとりと丁寧でありながらも、華麗できらびやかなテクニックを散りばめた、まさにヴィルトゥオーゾの演技だったと思いますし
何より、バラード1番の本質をやっと捉えたね、と言えるような、芸術解釈において高得点をあげたくなる演技でした。
見ていてゾクゾクし
心の奥底までカッと熱くなる演。
心が震え、目からひとりでに涙がでてくるような演技。
正直、バラ1でこんな演技を見せてもらえる日が来ようとは思っていませんでした。
美しさ、技術、そして心の深いところまで届く芸術性。
3拍子が揃った、まさに円熟の演技でした。
ちょっと子供っぽい部分も多い羽生選手ですが、
知らぬ間に心が大人になりましたねえ。
歩く姿にも堂々たる風格が出て来て
ちょっとした表情にも大人の男としての成熟が見えて
ドキッとさせられます。
オーサーがよく言う、シニアに必要なマチュリティとは
あのようなものを指すのだと思います。
羽生選手は19歳の初々しさを武器に運も味方につけて勝ち取った五輪金メダルを、
23歳の堂々たる大人の男性に成長した姿で再び取りにゆくのだなあ。
その実現が限りなく近づいていることを感じられたオータムクラシックのバラ1でした。
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